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長崎地方裁判所 昭和27年(ワ)337号 判決

原告 土山豊左ヱ門 外一名

被告 長崎市 外一名

訴訟代理人 家弓吉巳 外一名

一、主  文

原告等の請求を棄却する。

訴訟費用は原告両名の負担とする。

二、事  実

原告等訴訟代理人は「被告等は各自原告等に対し金百六十五万円及びこれに対する昭和二十七年十一月五日以降完済まで年五分の割合による金員を支払わなければならない」「訴訟費用は被告等の負担とする」との判決を求め、その請求の原因として、(一)原告両名は黒竜丸(後に大勢丸と改名)の共有者であつて、これを鮮魚運搬船として使用していた者である。(二)ところでこれより先訴外土山益夫等は原告等に無断で右黒竜丸により昭和二十五年五月下旬頃、長崎港から沖繩島に渡航し、同地において真鎮屑等を積載の上、同年六月六日頃長崎県南松浦郡奈良尾港に入港し、右物資を密輸入したために、右船舶は同人等の関税法違反被疑事件に係る証拠物として同年十月二十一日当時長崎市所属の公務員であつた長崎市警察署司法警察職員によつて差押えられ、その後間もなく国の公務員である長崎地方検察庁係官に引継がれた。そして昭和二十五年十一月一日公訴が提起され、昭和二十六年九月四日長崎地方裁判所において右関税法違反被告事件について判決が言渡されたところ、黒竜丸の没収がなされなかつたため、同月二十五日原告等において還付を受けたのであるが、その間公権力によつて押収を継続され、原告等の還付請求に一顧を与えず訴外六倉筒井に保管せしめられた結果、原告等においてその使用が出来なかつたものである。(三)然しながら右押収の継続は公権力の濫用すなわち違法行為である。(イ)本件黒竜丸は沖繩から前記奈良尾港に帰港後押収されるまでの間は、原告等の占有下に鮮魚運搬船として使用されていたものであつて、訴外土山益夫その他密貿易関係者等の占有にはなかつたものである。従つて関税法の解釈上、且又昭和二十四年(れ)第二二二四号同年十二月十三日最高裁判所第三小法廷判決の趣旨に照し、没収さるべきものでないこと明かなものであるから、斯様な事情のある船舶については、押収すること自体が、公権力濫用の譏りを免れないものというべきのみならず、いわんや漫然と長期間に亘りその押収を継続するということの違法であることは極めて明である。(ロ)又押収は、証拠物又は没収すべき物と思料される場合になされること論を俟たないところであるが、しかし本件においては、前記土山益夫等に対する刑事被告事件の判決によつても明かなとおり、黒竜丸は刑事事件公判の証拠物件として提出されず、且(イ)において述べた如く、没収さるべき筋合のものでもないから、当然留置の必要がないものとして速に原告等に還付されねばならなかつたものである。(ハ)本件黒竜丸は、前記土山益夫等に対する関税法違反被告事件並びに逃亡中の主謀者高草木増次に対する重要な証拠物件として押収を継続する必要があつたとされているのであるが、然し刑事事件においては被告人全部が犯行を自白しており、第一回公判以後においても、多少事情の差こそあれ、黒竜丸によつて沖繩に往復した事実を認めているのであるから、黒竜丸を証拠物件として裁判所に提出し、或は検証の対象とする何らの必要もなかつたこと明であり従つて係検察官においても刑事事件の証拠として、本件黒竜丸を利用せず又これを利用する積りもなかつたことは、刑事事件記録によつて疑の余地のないところである。更に本件黒竜丸の押収は前記の如く逃亡犯人の捜査上必要であつたとされているのであるが、然し前記事情に照してその必要のないことは自ら明白というべく、仮りにその必要があつたとしても、これは所有者に還付又は仮還付後においても十分その目的を達し得た筈である。若し本件黒竜丸が絶対に逃亡犯人の捜査上必要であつたとするならば、訴外土山益夫等に対する刑事事件の判決後何故所有者である原告等に還付されたものか不可解というべきである。或は将来訴外高草木増次が逮捕された暁に、黒竜丸を再押収するというのであろうが、斯様な愚を繰返えさずとも高草木の供述と既済刑事記録とによつてその十分な証明が可能であり、被告主張の如き押収継続の必要は絶対になかつたことは明である。(ニ)又本件黒竜丸はその後保釈中の訴外土山益夫等により、密貿易に再使用される虞があつたため、押収を継続する必要があつたとされているのであるが本件犯行後黒竜丸が密貿易に使用されたことを知つた原告等により、厳重に占有監視されている以上は、斯様な何等の心配はない筈であつて、第三者である訴外六倉筒井に保管せしめる位なら、原告等に仮還付してその保管に託することが妥当の措置というべきのみならず、密貿易に再使用される虞があるという理由によつて押収を継続するということは「犯罪予防のため押収した」ということになつて、これは明に捜査官の押収の限界を逸脱した違法の措置である。(ホ)又黒竜丸はその滅失毀損による証拠隠滅の虞があり、検証や鑑定の必要を慮つたから、押収を継続する必要があつたとされているのであるが、漁業家にとつて船舶は最大重要な財産であり、唯一の生活の道具である。従つて黒竜丸の滅失毀損による証拠隠滅の虞があつたというが如きことは、被告等が刑事事件後に創作した理由に過ぎず、又検証や鑑定は最初からこれを実施する必要も亦その予定もなかつたこと明であるのみならず、仮りにその必要があつたとしても、第三者である訴外六倉の占有下であれば可能であるが、所有者である原告等の占有下では不可能であるという何等の理由もない。(ヘ)以上述べたとおり、本件黒竜丸は没収さるべき筋合のものではないから、被告等がこれを没収さるべきものと信じて、その押収を継続したというのであれば、それは明に還付義務の違反というべく、又証拠物件として押収を継続したというのであれば、これは個人の重要にして高価な財産を無視した恣意、専断に基く無暴の措置であり、裁量の域を著しく逸脱した違法の処分というべきである。(四)然も右違法行為は捜査官が、何等留置の必要がないにかかわらず、捜査を尽さず、漫然と留置の必要があるものと軽信したことに因るものであり、その過失に基くものである。すなわちこのことは本件捜査官が関税法の解釈、関係判例等を研究し又は少なくとも原告等の還付請求について一顧を与えたとするならば、(それは捜査官の当然の義務である)、黒竜丸押収時における占有関係について捜査をすることが当然であり、斯様な当然の義務に違反して叙上の点について何らの捜査を遂げず、唯漫然と押収を継続したということ自体に徴し、その証明は充分であると思料される。(五)叙上何れにしても捜査官たる前記司法警察職員並びに検察庁係官の過失に基く公権力の濫用により、黒竜丸の押収が継続され、原告はこれがため昭和二十五年十月二十一日から昭和二十六年九月二十四日に至る十一ケ月間右船舶の使用を妨げられ、通常生ずべきその「チヤーター」料相当額の損害、すなわち一ケ月金十五万円の割合による金百六十五万円の損害を蒙つた次第である。よつてここに原告等は国家賠償法の規定に基き被告等に対し請求の趣旨記載どおりの損害賠償を求めるため、本訴請求に及んだと陳述し、被告国の過失相殺の主張に対し、原告等は捜査官から原告等の還付請求に対する何等の回答にも接していない。従つて被告国の主張する如く準抗告等の手段を採るに由なきものというべく、原告等には過失はないと陳述した。<立証省略>

被告長崎市指定代理人は主文同旨の判決を求め、答弁として訴外土山益夫等に係る関税法違反被疑事件について、原告主張の黒竜丸を、その主張日時長崎市警察署司法警察職員が押収差押えをなし、長崎地方検察庁に引継いだ事実は認めるが、その余の原告主張事実は全部否認する。叙上の措置は司法警察職員が、当然司法警察職員として為すべき法律上の責務を果した行為であり、原告主張の如く故意過失に基く違法の措置ではない。従つて本訴請求は既にその前提において失当というべく、被告としては到底これに応ずることはできないと陳述した。<立証省略>

被告国指定代理人は、主文同旨の判決を求め、答弁として、原告主張(一)の事実はこれを認める。(二)の事実は訴外土山益夫等が原告等に無断で黒竜丸を密貿易に使用したという点は不知、長崎地方検察庁係官が原告等の還付請求について一顧を与えなかつたという点は不認、その余の事実はこれを争わない。(三)の(イ)の事実は本件黒竜丸が沖繩から奈良尾港に帰港後押収に至るまでの間、原告等の占有下に鮮魚運搬船として使用されていた事実は争わないが、その余の事実及び(三)の(ロ)乃至(ヘ)の事実並びに(四)の事実はすべてこれを争う。(五)の事実は原告等がその主張の期間、黒竜丸を使用できなかつた事実はこれを認めるがその余は否認する。被告国としては次の理由により本訴請求には応ずることができない。すなわち(一)本件黒竜丸を押収したことは違法ではない。原告等は、黒竜丸は原告等の所有であつて、訴外土山益夫等が本件密貿易に使用後押収されるまでの間は、同訴外人等の占有にはなく、原告等の占有下にあつたのであるから、黒竜丸を押収したこと自体が公権力の濫用であると主張しているが、それは誤つている。押収は刑事訴訟法第二百二十二条、第九十九条の規定により、証拠物又は没収すべきものと思料する場合になされるのであるが、黒竜丸が訴外土山益夫等において密貿易の用に供した船舶であることは間違いないところであるし、又関税法第八十三条第一項の規定により、密貿易の関係者等の占有に在れば、他に所有者があると否とを問はず、没収を免れないものであるから、捜査官が捜査の段階において、訴外土山益夫等に対する関税法違反被疑事件の重要な証拠物件として、将又没収すべきものと思料して黒竜丸を押収したことは当然の措置であり、原告等主張の如く公権力の濫用とはいえない。(二)黒竜丸を還付しなかつたことは違法ではない。検察官が本件黒竜丸を原告等に還付又は仮還付しなかつたことにつき、その必要性があつたか否かについて検討してみると、黒竜丸は訴外土山益夫等が沖繩からの密輸入の用に供した船舶として重要な証拠物件ではあるし、又右密貿易の主謀者で当時逃亡中の高草木増次に対する重要な証拠物件でもあつたこと、若し黒竜丸を原告等に仮還付するとすれば、前記土山益夫と原告土山豊左ヱ門とは親子の関係に在り、原告崎戸清市とは叔父甥の関係に在つたという事実に加え、訴外土山益夫が昭和二十五年十一月一日保釈許可決定によつて保釈出所中であつたから、前記高草木等と共謀の上、再度黒竜丸を密貿易の用に供する虞があり、或は黒竜丸の滅失毀損等による証拠湮滅の虞も在つたこと、又船舶は普通の押収品とは異り、滅失毀損の虞が大きく且航海等による移動性の激しいものは、将来鑑定や検証等の必要の生じた場合に、何時でも直ちにこれに応じ得るように信用のおける確実な第三者に保管させておく必要があつたことが認められるし、然も後記の如き事情からして黒竜丸は没収を免れないと考えられる廉もあるのであるから、少なくとも訴外土山益夫等に対する刑事事件の裁判確定に至るまで、その押収を継続するということは、洵に当然の措置であり、原告等主張の如く、決して公権力を濫用したものではない。然のみならず押収物の仮還付請求に対し検察官がこれを許可するか否かは、その自由裁量に属する事項であるから、仮りに本件係検察官が黒竜丸を仮還付しなかつたことが適切でなかつたとしても、叙上の如き具体的な事情からみると、それは単に当、不当の問題たるに止まり、違法の問題を生ずる余地はない。原告等は訴外土山益夫等に対する刑事被告事件の公判において、黒竜丸が証拠品として提出されず、又判決によつて没収もされなかつたのであるから、当然留置の必要がなかつたと主張し、結果的にはそのとおりであるけれども、これは結果論であり、結果だけからみて、直ちにそのように断定することは失当である。否むしろ黒竜丸を還付せず、裁判確定に至るまで留置していたればこそ、被告人土山益夫等は、公判において供述を飜えすこともできず、従つて幸に黒竜丸の鑑定、検証等の必要も生じなかつたともいえないことはない。刑事事件において被告人や証人等が、たとえ警察や検察庁で犯罪事実を自白している場合でも、公判において供述を飜えすことのあることは、しばしば経験するところであり、本件においても、若し黒竜丸を訴外土山益夫と親子或は叔父甥の関係に在る原告等に還付していたとすれば、益夫がたとえ警察官や検事の取調べにおいて自白していたとしても、公訴提起後、直ちに保釈されていたのであるから、逃亡中の本犯高草木増次(益夫の裁判確定まで逮捕されていない。)やその他の関係者等と通謀して、黒竜丸の滅失毀損等による証拠湮滅を計ることも可能であり、従つて公判において黒竜丸で沖繩に密航した事実を否認すれば、果して黒竜丸が荷物を積載して長崎、沖繩間を往復航海が出来るだけの能力があつたか否か等について検証や鑑定をなす必要性も起り得ることである。右のような場合に何時でも直ちにこれに応じ得るように検察庁自らこれを保管するか、或は信用のおける確実な第三者に保管させて置くということは当然のことである。而して公判において将来果して検証とか鑑定の必要が起るか否かは、裁判の確定に至るまでは、必ずしも明確ではないのであるから、公訴を維持し、裁判所に法の正当な適用を請求することを使命とする検察官としては、刑事裁判の適正と万全を期するため、本件密貿易の供用物件として重要な証拠物件である本件黒竜丸を留置しておいたことは当然の措置であり、別段裁量を誤つた廉すらもないといゝ得るところである。原告は黒竜丸が逃亡中の本犯高草木に対する関税法違反被疑事件の証拠品として押収されていたものとすれば、訴外土山益夫等に対する裁判確定後、原告等に還付されたことは不可解であるというけれども、共犯者たる土山益夫の裁判が確定した以上は、訴外高草木に対する刑事裁判の証拠の関係では、右刑事記録を利用できるのであるし、又訴外高草木増次の逮捕に至るまで黒竜丸を押収して置くということは、原告等に酷であると考えられるので、もはや高草木に対する刑事事件の証拠品としても、これを留置して置く必要はないと認めて原告等に還付しただけのことであり、このことの故に黒竜丸を高草木に対する証拠品として押収する必要がなかつたということにはならぬ。(三)検察官には原告等主張の如き過失はない。黒竜丸を押収したことも、これを還付又は仮還付しなかつたことも違法でないこと前述のとおりであるから、検察官の過失を論ずる必要はないばかりでなく、原告等は検察官が黒竜丸の占有関係について何等の捜査を尽さず、且関税法の解釈判例等の研究をすることなく漫然と黒竜丸の押収を継続したというけれども、然し訴外土山益夫の大蔵事務官に対する質問調書や同訴外人の公判における供述等によれば、益夫は本犯高草木と本件密貿易をなすに当り、黒竜丸の代表者として又責任者として、同船の傭船契約を締結した旨の供述があるし、又益夫は原告等が経営している丸八水産株式会社の監査役であり、原告土山豊左ヱ門の長男であるので、平素船主代理として全責任を以て、各方面に黒竜丸の運航を指揮していた趣旨の供述があるのであるから、訴外土山益夫が、平素船主代理として黒竜丸に対する実権を握つており、事実上同船を支配していた事実が認められるし、従つて検察官が黒竜丸の押収当時においても、訴外益夫がこれを占有しておつたものと判断したことは無理からぬことであり、検察官に過失があつたと論断することは妥当でない。(四)仮りに検察官が黒竜丸を還付又は仮還付しなかつたことが違法であり、それが過失に基くものであつたとすれば原告等としては直ちに刑事訴訟法第四百三十条の規定により準抗告の申立によつてその是正を求むべきである。然るに原告崎戸清市又はその代理人は、係検察官から昭和二十五年十一月三十日仮還付請求却下の通知を受けながら、かような準抗告の手続を採らなかつたのであるから、本件損害の発生については原告等にも一半の過失責任があるというべく、ここに被告は過失相殺を主張する、と主張した。<立証省略>

三、理  由

(一)  まず捜査官が本件黒竜丸を押収したこと自体が違法であるか否かについて判断する。

押収は刑事訴訟法第二百二十二条、第九十九条の規定により、証拠物又は没収すべきものと思料される場合になされるのであるが、本件黒竜丸が訴外土山益夫等において密貿易の用に供した船舶であることは当事者間に争のないところであつて、右関税法違反被疑事件の重要なる証拠物件であることは疑がなく、又関税法第八十三条第一項の規定によれば、密貿易の供用船舶は、裁判時すなわち押収の時に当該密貿易の関係者等の占有下に在りさえすれば、他に所有者があると否とを問はず必ず没収すべきものであるところ、成立に争のない甲第十号証の二と第十六号証に弁論の全趣旨を綜合すると、訴外土山益夫は本件密貿易の本犯高草木増次と密貿易をなすに当り、黒竜丸の代表者として、又責任者として同船の傭船契約を締結したという事実及び同訴外人は原告等が経営している丸八水産株式会社の監査役であり、原告土山豊左ヱ門の長男であるので、平素船主代理として全責任を以て各方面に黒竜丸を運航していた事実が窺えるのであつて、

叙上の事実から推すならば、同訴外人が平素船主代理として黒竜丸に対する実権を握つており、事実上同船を支配していたものと推断されるから、従つて捜査官が捜査の段階において、関税法違反の被疑事件の証拠物件として、将又没収すべきものと思料して黒竜丸を押収したことは、洵に止むを得ないことであり、原告等主張の如く違法にして公権力の濫用であるとは認め難い。

(二)  次に検察官が黒竜丸の押収を継続したことが違法であるか否かについて判断する。

押収物の仮還付(刑事訴訟法第二百二十二条により第百二十三条を準用)は、捜査の複雑且困難性に鑑み検察官の自由裁量に委ねられた処分と解するのが相当である。従つて仮りに検察官が仮還付をしなかつたことが裁量を誤つた適切を欠くものであつたとしても、当、不当の問題を生ずるに止まり、違法の問題を生ずることはない。然しながら押収は公権力により強制的に個人の財産を侵害することになるのであるから、可及的にこれを差控えるのが人権保障の精神に徴して望ましいことであり、刑事訴訟法第百二十三条の規定もこの趣旨から第一項においては、もはや留置の必要のなくなつた押収物を事件の終結を俟たず還付すべき旨を規定し、第二項においては留置の必要性が全然なくなつたわけではないが、一時これを還付しても支障がないと認められる場合には仮還付ができる旨を規定したものと解される。従つて本件において、黒竜丸を留置しておく必要が全然なくなつたにかゝわらず、これを原告等に還付しなかつたものとすれば、それは当然還付義務に違反する違法の措置というべきであり、又全然留置の必要がなくなつたわけでないが、検察官が著しく裁量を誤り、客観的にみて押収物を一時還付しても支障がない、つまり仮還付することが当然であると認められるにかゝわらず、これを仮還付しなかつたものとすれば、それは違法な処分と同価値において、矢張り国家賠償法第一条の規定を適用することが、人権の保障と国家賠償法の精神に徴して妥当であると解される。よつて考えてみるのに、本件においては後記の如く黒竜丸を留置しておく必要が全くなくなつたものとは認められないから、係検察官が黒竜丸を原告等に還付しなかつた措置をとらえ、直ちに還付義務に違背した当然違法の措置であつたとはいえない。而して成立に争のない甲第一号証、第二、三号証、第十五号乃至第十七号証によれば、本件密貿易の関係者である訴外土山益夫等はいずれも、公判において黒竜丸により沖繩に往復した事実を認めており、従つて弁論の全趣旨によつて認め得る如く、本件黒竜丸は右関税法違反被告事件において証拠品として提出されず、又これについて検察官から検証、鑑定等の申出がなされなかつたのであるから、この点からみれば検察官が黒竜丸を留置しておかなければならなかつた必要性は、しかく絶対であつたとは認め難いところであるけれども、然し又一方弁論の全趣旨によつて認め得る如く、訴外土山益夫と原告土山豊左ヱ門は親子の関係に在り、原告崎戸清市とは叔父甥の関係に在つたこと、同訴外人は保釈出所中であつたこと、本件密貿易の主謀者である訴外高草木増次は逃亡中であり、黒竜丸は同訴外人に対する重要な証拠物件でもあつたこと及び前記(一)において説明した事実等、諸般の事情を綜合して考えるときは、黒竜丸を仮還付すれば、従来の経験に徴し訴外人等通謀の上再度これを密貿易の用に供し、或はその滅失毀損による証拠湮滅の虞が全くないとはいえない(これまで左様な事態の生じたことが在つた)し、又船舶は滅失毀損の虞が大きく且航海等による移動性も激しいから、将来鑑定や検証等の必要が生じた場合に、何時でもこれに応じ得る如く万全の措置を講じておく必要があつたといえる。原告等は訴外土山益夫等に対する関税法違反被告事件の公判において黒竜丸が証拠物件として提出されず、又没収もされなかつたこと、同訴外人等が黒竜丸により沖繩まで往復した事実を自白していたこと等々の事情を揚げて黒竜丸は当然留置の必要性がなかつたと主張するけれども、然し左様に結果からみて、逆論的にそのように判断することはできない。けだし被告国が主張する如く、黒竜丸が仮還付されなかつたればこそ、訴外土山益夫等において、供述を飜がえすことができず、幸に係検察官が黒竜丸の鑑定、検証の申出をする必要がなかつた結果になつたともいえないことはないし、又これまでの経験に徴すれば、たとえ被告人や証人が警察官や検事に対して犯罪事実を自白している場合でも、公判において供述を飜えすことは稀れではないのであるから、本件においても、黒竜丸を仮還付していたとすれば、益夫等がたとえこれまで警察官や検事に対して犯罪事実を自白していたとしても、その後直ちに保釈されていたのであるから、逃亡中の本犯高草木増次その他の関係者と通謀して黒竜丸の滅失毀損による証拠湮滅を計ることが不可能ではないし、従つて公判において従来の供述を飜えすとすれば、果して黒竜丸が荷物を積載して長崎、沖繩間を往復航海することが可能であるか否か等の事実について検証や鑑定等の必要も生じ得るのであつて、斯様な場合、直ちにこれに応じ得る如く、準備をして置くことは検察官として当然の措置であり、将来公判において検証、鑑定等の必要が起るか否かは、裁判の確定に至るまでは必ずしも、断定できないのであるから、公訴を維持し、裁判所に法の正当なる適用を請求することを使命とする検察官としては裁判の適正と万全を期するため、本件黒竜丸を留置したことは客観的にみて、必ずしも著しく裁量を誤つた(違法と同価値において)ものと認めることができない。さすれば被告両名の責任の関係(この点に関し原告等の主張は明確でない)、検察官の過失の有無等についての判断を俟つまでもなく、本訴請求は到底これを採用するに由なきものというべきである。又蛇足ではあるが、損害賠償の制度は抽象的に通常生ずることあるべしと考えられる損害の賠償を命ずるものではなくて、現実且具体的に生じた損害の賠償をなさしめるものである。ところで原告等は本件黒竜丸を使用することができなかつたことにより、その「チヤーター」料相当の通常生ずべき損害を被つたと主張するけれども、然しその自陳する如く黒竜丸はこれを他に「チヤーター」して「チヤーター」料相当の収益を揚げていたというわけではなくて、原告等が自ら鮮魚運搬船として使用していたものであるから、従つて原告等が黒竜丸の使用が出来なかつたからといつて、当時鮮魚運搬船として確実に運賃収入を揚げ得たという論証をなさず、当然通常生ずべき「チヤーター」料相当の損害を被つたと主張しても、直ちに左様な断定をすることは合理的とは認め難い。(通常生ずべき損害であるか否かは具体的な現実の損害の発生が論証された後、判断されることである。)

以上の次第であつて原告等の本訴請求はその理由があるものとは認め難いのでこれを棄却すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条、第九十三条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 入江啓七郎)

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